人は自らの顔を直接見ることはなく、また背後を見ることもできない。
自己の同心円上に世界を見つめなる主体こそ「自分だ」と意識したとき、
顔や背後を直接見ることのない自己が生まれる。
全方位にものごとを考えるとは、
見なれたそのようなやり方で精緻に世界を見ることではなく、
世界から見られる自己を見ることだろう。
そのとき自己は自己の外に立ち、見るものと見られるものとが同じになる。
「自己の存在」を存在として知ること。「自己の」に力点を置かないこと。
則天去私とは、境地の話ではなく、そうした関係性のことを指しているのではないか。