2008-05-01から1ヶ月間の記事一覧

在るとはどういうことなのか

唯識派によれば、存在は刹那刹那に生滅を繰り返しているという。 そして、刹那は数量化できる時間単位ではない。その問いを持ちこたえられないものは、ノウハウに問題を矮小化しようとする。 しかし、どう観測すれば、現れて滅する運動を記述できるだろう。…

最短・最大・最速

「最短距離」と聞くと物理的な事実を表していると思いがちだが、 「2点間を結ぶ最も短い距離」とは、概念上でしか成立しない。 線とは定義上、幅を持たない。ようは人間にとっての認識上の事実であって、世界の事実ではない。 地球から月へ打ち上げたロケッ…

所有の記憶

あらゆる事物は滞ることなく移ろい行くことが、疑いようのない事実ならば、 私は何かを確かに所有することなどできない。心理を記述し、後生大事に記憶として取り置くこともできない。 記憶は池に投げ入れた小石の水面に広げる波紋のようなものだ。 起きた事…

観察

事物をよく観察すれば、よく見えるようになる。その方法に習熟することが客観化であり、対象化だと、 あらゆる機会を通じてアナウンスされる。 だが、観察する行為自体が対象に影響を及ぼす以上、観察とは自分の見方を見るようになることでしかない。 長さは…

本質的欺瞞

人間というデザインは、人間の手によって為されたものではなく、自然の産生によってもたらされた。そうである以上、人間の了解できる範囲の機能によって、デザインの何たるかが決定されるわけにはいかない。 「デザインは機能に従う」とは、バウハウスのテー…

無頭人宣言

Acephaleとは、頭脳を表すcephaleに否定の接頭辞aをつけたもので、 「無頭」を意味する。 何かを手に入れるために思考を凝らし、着々と準備すること。 何かを手に入れるために益体のない思いつきを捏ねくりまわしてみせ、 それを創造性と僭称すること。 あれ…