認識の外

「百聞は一見に如かず」というとき、往々にして忘れられるのは、
ありのままの世界を見ているつもりでいるが、人は見たいものしか見ることができない、ということだ。


人が視覚という構造を持つ限り、あるフレームの枠内の、許された範囲のものしか見ることができない。



だからといって、世界そのものがないとか。あるいは世界はワンネスなのだと、ナイーブな言葉、大きな言葉で語ってしまわないように注意したい。



見たいものしか見ることができない。これが人間の認識の限界だ。



だが、認識の外に世界があることを知ったとき、不可知論や神秘主義に身を委ねきらない光芒を認めることができるのではないか。