沛然と降る雨

マザー・テレサ生誕100年を記念し、来年1月から彼女のドキュメンタリー7作が公開される。
そのうち2本の試写会があったので、今日銀座に出かけた。


初めて、彼女の姿をフィルムにおさめたBBCによる『すばらしいことを神様のために』の中の、マザー・テレサは普通でいて、どことなく異様だった。


彼女から出てくる言葉の中には、“どのように・どれだけ・誰を”愛するか、がまったく見当たらなかった。


ただ愛する。そこに前提も条件も持ち込まない。ただそのときのことをする。
その凄まじさに思わず涙が出た。


何の見返りも期待もせずに生きるということは、およそ人間業ではない。

神とともにあるということがこれまで私の視野の外にあったが、あのたたずまいを見て、少しばかり何を意味しているかがわかったような気がした。

それは私の知っている神ではなく、私の記憶の中の愛ではなく、過去と記憶の照らし合わせの中で見出され、実行される愛ではなく、日々新たに生まれる何か。


考えられたものではなく、つねに劈頭に立ったところに見出されるようなもの。


名付けられぬ呼びかけを聞くようなもの。
沛然と降る雨は、聞き耳を立てるまでもなく、耳朶をうつように。