過ぎ去る時


五月雨は
露か涙か ほととぎす
我が名をあげよ 雲の上まで  
            −足利義輝
                                        


ただ過ぎ去る時に足跡はない。
渚を洗う波を確かめることができないように。



では、過去が経験として固有の意味を確かに帯び、過ぎ去った時が形を持つのは何時か?


通常、過去が経験として重みを持つのは、
その積み重ねに共通するルールを発見したときだ、と思ってしまう。

風により地表に生じた砂模様に規則を見いだすように。



風と砂に因果関係はある。だが、関係に法則を見出すのは、それを見る観察者だ。
風は法則によって吹いてはいない。


観察によるルールの発見は、対象に共通する何かを見出すように見えて、
共通した何かを見出す自己を見ている。

距離をはかるには、まず長さという概念を持ち、それを用いていることを忘れがちだ。


経験の重みは、過去の堆積にはない。
経験は新しさを知る瞬間にある。


手を叩くと音がする。叩いて初めてそれは起きる。
そこに観察する隙間はない。

経験とは、その拍の一瞬に起きた新たな何かを知ることだ。