鳴ったものは鳴らない

経験の意味は、そのとき体験することにあり、経験を記述すること自体にはない。

コップを落として割ったとする。
持ち方が悪かったから、手が濡れていてから滑った。


コップが割れたという結果から、そういう理由を見いだす。

それらの理由は誤ってはいない。
誤っていないからといって、正しわけでもない。



「経験から学ぶ」というとき、私たちは行ったことの中にルールを見いだそうとする。
コップを割らない方法やうまく持つやり方というものを作り出す。

過去を振り返り、丹念に見ることで規則性を発見できると思う。


コップが落ち、床に砕け散る音が四散した。


音が鳴った。

どれほど経験を振り返ろうとも、
鳴ったものは、もう鳴ることはない。


鳴りつつあるものも鳴らない。
鳴ることも目撃していない。


何も見ていない。
何が起きたかわからない。


鳴ったときしか起きていないことを振り返ることはできない。
それは自分の顔を見ようと振り返るようなものだ。


過ぎ去ったことを振り返り記述することの意味は、
「何が起きたのかわからない」ということに尽きる。