偏差

この空間、時間において自他に区別をもうけているのは意識であり、
突き詰めると外界の現象と私という現象の境目はあるようでない、ないようであるような、

境界は波打ち寄せる汀のような、絶えず形を変える形あってないような淡いとしてあるようなもの。


私という存在は、ここにあって、

ここにあるという身体の存在の仕方は、すべての方位に向けて膨張と圧縮が同時に存在しており、
特定の方角に傾斜していることはなく、そうでなければならない謂れもない。


事実がそうでありながら、右か左かという現象に宿る意識の明滅の偏りをもって、己が存在と決めつけるのは、
自己に対する冒瀆であり越権であり、存在の可能性を自ら閉ざす愚かな行為にほかならないだろう。