どこにでもあるような家族の風景

父は昨年末、トルコにひとりで旅行に出かけたという。
母がいうには、旅から帰って来て少し様子が変わったという。


確かに変化していた。

タジキスタン航空のパイロットは操縦がうまかったよ」
そんな話を楽しそうにしていた。

スサノオだった父のあのすべてを灼き尽くそうとするような怒りの炎が鎮まって見えた。


旅の効果が落ち着けば、また元に戻るかもしれない。
だが、本人も変化しようと努めているようだ。70歳を超えて成長しようとするところは見習いたい。



「年をとってわかるけれど、親父はさびしかったんだよ」

どんな不行跡も不合理な振る舞いも、ドラマで見たことのあるようなセリフでもって、過去の起伏に富み過ぎ、軋んだ親子関係を総じて平らかにならしてしまおうとする息子を時折見かける。


僕はそんな一切合財をのっぺらぼうにしてしまうようなことはしたくない。したくないというより、そんな陰影のない人でなしにはなりきれない。


キッチンにはハイライトとウィスキーグラス。どこにでもあるような家族の風景


「どこにでもあるような家族の風景」なんてお目にかかったことはないが、帰省して、父と話したり、弟と釣りへ行き、お年玉をあげたり、そんなドラマで見たようなことをしていた。そうして横目で父を見ていた。


父が僕に結婚しないのか?と初めて尋ねた。
まるでどこにでもあるような家族の風景だ。


いったい生きて、死んで行くとは、自分の残してきた足跡を消して行く作業にも似ているなと思った。
そんな正月だった。