路地の思い出

大学生の頃、朝鮮文化研究会というサークルに顔を出していた。
文化の研究といったところで、そんな高尚なものではない。

やっていることといえば、日がな一日部室でごろごろし、小銭をじゃらじゃら言わせてチンチロリンをするか。
夕方になれば鍋を食い、酒を飲むといったくらいだ。


形の上では、当時は朝鮮総連の留学生同盟の傘下団体だったが、上層部にはあまりよくは思われていなかったようだ。
先輩たちがリベラルなのかあるいは何も考えなかったのか、書棚に『凍土の共和国―北朝鮮幻滅紀行』や金賢姫『愛を感じるとき』があったり、玉城素『北朝鮮Q&A100』が必読書だったりしたところにも一因があるのだろう。
拉致問題についてタブーなしに話すことができたなど、共和国に対する冷静な見方をする人が多かった。


部室の隣が労働問題研究会、向かいが部落問題研究会と、なぜか濃いサークルが凝集していたのだが、部落問題研究会の先輩に誘われて、夜間に地元の公民館で開かれていた学習会に参加した。

もとは地元の子供たちに向けた識字教育から始まったと記憶しているサークル活動だが、
そこで僕はなぜか日本史を教えた。


冬の凍てつく夜だった。
会の終わった後、てくてくと先輩ふたりと歩いていたら、銭湯にさしかかった。
その前に背の曲がった老婆が屋台を出していた。遠目には、たこ焼きに見えたので、特に興味をひかれることもなく、老婆の前を通り過ぎようと思ったのだが、たこ焼きをつくるプレートにしては、半円の窪みが浅い。


引き返して、しげしげと見た。
通常のたこ焼きプレートの深さの半分程度しかない。そこに水に溶かした小麦粉と細かく刻んだすじ肉、こんにゃくを入れ、焼いていた。


先輩が老婆に尋ねた。
「おばあさん、それ何焼いてんの?」


老婆は愛想なく「ちょぼ焼きや」と答えた。

後年、たこ焼きの原型がちょぼ焼き、ラジオ焼きと言われたものだったと知るが、当時はそんなものがあるとは知らなかった。


ひとつ買い求めてみた。
醤油で煮込んだすじ肉が入っているだけの、変哲もない味だったのだが、ほかでは食べたことのないものだった。


おそらくその「村」だけの、いまふうに言うならばソウルフードだったのかもしれないと思う。


上原善広さんに会って、あの夜のことを思い出した。
路地を訪ねる旅は、日本の姿を照らす道行き