掌中の雪

蓄えられた知識や経験といった記憶からは創造や発見は生じない。


記憶に選択はなく、是非もない。
記憶を探っても、私は明らかになることはない。


記憶は私によってつくられた。
記憶は個人のものであり、個人の記憶は私だけによってつくられたことは一度もなかった。


私と他人、私と雪の“あいだ”に紡がれ、解かれていった何かとして、私の記憶となる。


雪の降る様はしかと目に見えることができても、手に取れば、掌中でそれは溶けていくように。


一刻一秒その都度新たに現象される出来事のその生成に私もまた参与しており、
私という存在は常に記憶の外にある、その都度現れ消える何か。