観察

事物をよく観察すれば、よく見えるようになる。

その方法に習熟することが客観化であり、対象化だと、
あらゆる機会を通じてアナウンスされる。


だが、観察する行為自体が対象に影響を及ぼす以上、観察とは自分の見方を見るようになることでしかない。


長さは長さという概念を持ち出すことでしか観測できない。

しかし、宇宙には、本来メートルという単位は存在しない。
存在は私の視野の外にあり、決して概念化されることはない。


対象化とは、私にとっての経験であり、「私と事物」に世界を分割することであり、
そのことによって人は世界を経験する。


けれど、この上ない現実は分割されない。
「現実はひとつ」しかなく、分割されることはない。


何となれば「いま・ここ」は、名指すことができない。

瞬間を数値化し、名指そうとしても、それは無限に分割可能であり、決して瞬間の始まりと終わりに行き着かない。


<道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず>

世界は私の認識よりも計測不能の大いさとして存在する。