do everything with nothing


花は、花を咲かせようとはしない。
鳥は飛ぼうとして飛びはしない。


そこにあるのは、ただ自然の働きだが、自然は何かをさせることはしない。
自然は何かに対し、特別な何かを行わない。


ところが人間の認識では、世界は自己と対立するものでしかなく、
そうして自然と対峙しては、
世界にあるのは、何かの働きが加わって別の何かに成った事態しかない。


技術や方法や知識といった作為を以て自然を変えることができると思われているが、
自然はただそうあるほかなく、人の実感は別として自然は何も変わってはいない。


何かに対して何かを行ったとき、始まりと終わりが生まれる。

始まりと終わりのある単線上の認識で世界を見た時、始まりの始まりの始まり…
といった具合に無限の分割が始まる。


何かに対し、何かが特別に働きかけ、何かが起きた。
その原点を探ることが、世界の謎を解く手法だと思ってしまうが、
そもそもそういう見方をしたから無限分割が起きたのではないか。


観察者は己の似姿を世界に見い出す。

為すこと無く自ずから然り。

無為自然とは特別の境地や見解ではなく、
私たちの眼前に展開している事実を記述した運動のことだろう。

花は、花を咲かせようとせずして開花する。
自然は何も行わずして、それを行わせる。


「何もしない」とは、「何かをしない」という細則にわたる禁止ではない。

ただ、「そうである」ということ。

無為自然とは、(do everything with nothing)であり、その起きてしまったことは、
私たちの見ている因果の外にあるのではないか。