越南の人

新宿のサザンテラス近辺を歩いていたら、
不意に男性に「この辺りに大きい書店はありますか?」と尋ねられた。少し訛りのある言葉だ。


ちょうど私も紀伊国屋へ行くつもりだったので、
「じゃ一緒に行きましょう」と高島屋にかかる陸橋をふたりして渡り始めた。



「你是中国人吗?」と尋ねると、「いえ、ベトナム人です」と彼は答えた。


今日はどんな本を探しにきたのか尋ねてみた。
「いろいろです。いっぱい興味があるんです。いまは特に町づくりに興味があります」


聞くと彼は大学で勉強しているという。

「町づくりということは、都市工学を学ばれている?」
「そうです!」と、うれしそうにいう。


「都市のデザインといっても、交通や環境とかいろんな見方ができますよね」と話を進めると、彼は流暢ではないにしても、確かな信念があることをうかがわせる口調で続けた。


「確かにそうです。わたしは中でも土木に関心があります。でも、やっぱり哲学がいちばん問われます。日本は風土もヨーロッパに比べたら似ているし、いろいろ学べるかなと思っています」


「哲学のなさが戦後日本の都市計画の最大の失敗でしょう」
そう、せめて後藤新平程度の人がいれば。


彼はそれには答えず、少し笑う。
右手に広がる新宿駅から伸びた幾本ものレールを僕と彼は眺めつつ歩いた。


彼は微笑をたたえたまま、さっき言い忘れたといった格好で口を開いた。
「哲学がないと、ひとつひとつの機能は便利でも、それを合わせても住みやすい街にならないかもしれません」


紀伊国屋が迫ってきた。
国へ帰られたら何をするのかと問うた。
彼は間髪を容れず「政治家です」と答えた。


雲間の日が急に現れ、僕の目を差したわけでもないけれど、その眩しさに目を細めてしまった。
青雲が彼の背後にたなびくのが見えた気がした。明治の青年もこういう感じだったのだろうか。


それにしても中国の政治家も水利や土木系の、従来ならテクノクラート行きだった人が政界に進出している。
確か胡錦濤温家宝も確かエンジニアだったはずだ。新興国の勢いはそういうところにも求められるのだろうか。


僕は扉を開けて、彼を中へ通し、「何かわからないことがあったら、カウンターに尋ねると良いです」といって手を振った。


私は小倉千加子の本を買ったのだが、さて、彼は何を手に取ったろうか。