0.5秒前
脳神経学者のベンジャミン・リベットの行った実験で明らかになったのは、
目前のコーヒーカップを取ろうといった具合に、
「何かをしよう」と思った0.5秒前には、すでに神経活動が始まっていることであった。
この事実にアメリカ人は驚いたという。
なぜなら自由意志が人間には存在しないのではないか?という問題は、
彼らのアイデンティティに関わるからだ。
フロンティアは、個人の自由意志を礎に開拓されてきた。建国の根幹に関わる精神は何が担保するのか?
自由意志決定は行われておらず、意志とは脳内過程の後付けに過ぎない。
それが意志や自我の真の姿だ。
私たちが確かだと思っている世界は0.5秒前の姿だ。
人は現実を認識してはいないのだ。
この事実を隘路と受け取り、頭を悩ますことが知的誠実さに見えるかもしれないが、
そもそも「何かをしようとして行う」ことが自由な意志なのだろうか。
自分にとって確信された何かをあえて言い、行うこと。
意識され、限定されているものが、いかほどの自由なのか。
自由は知覚できないもので、常に残影のようなものではないか。
人はありのままの現実を認識はしていない。
だからといって、この世界を知覚していないわけではない。
ただ、私たちの知覚は世界を常に解釈したものとして受け取っている。