リアルタイム


クリアカットな思考とその産物の託宣をありがたがる傾向は、その信奉者とともに増えている。

「情報化社会の次は知識社会の到来だ」という予想屋の口上が本当ならば、
過去の情報の蓄積と検索、観察と記録という親しみある手法はいよいよ幅を利かせるだろう。


明晰な思考の結果は、「そのように見られた事実」であって、本当に事実かどうかはわからないが、そのことは不問にされている。


思考可能なものは、認識できるものに限られているが、認識とは常にタイムラグを伴う。


認識とは常に「振り返り」というタイムラグがなければ起こらない、周回遅れのツールである。

クリアカットな思考の別称は、過去である。過去をいまに当て嵌めるという離れ業をわざわざ人間は行っている。


クリアであるとは、私とそれとが寸分のずれもないときであり、それこそがリアルタイムであるだろう。

がしかし、私は私の顔を見ることができないように、それは認識の対象外だ。