Love Me Tender

実家の母から電話があり、弟の近況について話す。


弟は今年に入り、高校を中退し、通信教育を受けている。彼の行く末に母は気を揉んでいる。


私と弟とは異母兄弟で、23歳離れている。自分の子供といってもいい年齢差だ。思春期の絶頂にいる彼のやるせなさに共感するところあるだけに、動向は気にかかる。


母とは6歳しか違わない。半年に一度しか会わない。継母であり、国籍も異なり、姓も違う。
彼女は四散しそうな家族をまるで茶碗の金継ぎのように取りまとめようとしている。


つらつら思うに実母のいた頃からちゃんとした機能不全家族であり、それをいまも継承しているといえるが、母のおかげで希薄な関係ながら家族であり続けている。

家族が機能不全だからといって、それがすべての不幸を決定するわけでもなく、家族の姓が母と私と弟で違うからといって、その構成員は不幸なわけではない。形骸に幸福を求めるほうが誤っている気がする。


考えてみれば、父には参照すべき父や家族像が周囲になかったのだ。
父曰く「オレのオヤジは気がついたときはもうオヤジではなかった」。
祖父は父が物心ついた頃、アルコールで精神は荒廃し、まともに話のできない状態であったという。

六畳一間の長屋、就職しようにも教師からは「朝鮮人に仕事があるわけない」の一言で済まされた。
父のよすがは、貧しさと悲しさと怒りであった。


祖父の死後、祖母は出口ナオのように赤貧の中でシャーマニックな能力に目覚め、卜占を日々のたつきとした。子らはそこに異形さを見た。

父は北朝鮮への帰国船に乗ろうとした。
一度も温かく接されたことのない人間のやさしい抱擁を求めての、架空のホームタウンへの帰還を夢見てのことだったのかもしれない。


家族の機能不全の要諦は父にあるが、彼のメッセージは70を超えて、いまなお「Love Me Tender」だ。
彼の理不尽な行動の背景に、貧しさと悲しさと怒りに震える少年の姿を見る。